
水のはなし
天然水の人びと
アクアセレクトGMの竹本大輔による水紀行
第49回 妙高上越 食の魅力 武蔵野酒造さま編3
武蔵野酒造さま取材の翌日、勧められるがままに、新潟県上越市高田の金谷山にある「日本スキー発祥記念館」を訪れた。
小雪舞う寒い日となった。
小雪舞う寒い日となった。

私たちを出迎えてくれた、テオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐の像。
明治43年に日露戦争に勝利した日本陸軍の研究で来日。
オーストリア=ハンガリー帝国陸軍少佐にして、日本で初めてスキー指導した「日本スキーの父」とでも言うべき人物。
学生時代(今も)、スキーに没頭した私としては、垂涎の的。スキーの聖地。
明治43年に日露戦争に勝利した日本陸軍の研究で来日。
オーストリア=ハンガリー帝国陸軍少佐にして、日本で初めてスキー指導した「日本スキーの父」とでも言うべき人物。
学生時代(今も)、スキーに没頭した私としては、垂涎の的。スキーの聖地。

竹本
御社のホームページ見させていただいたんですが「スキー正宗」という銘柄は最近に名付けられたお酒なのかなと思っていたら、そうでもないので驚きました。
小林社長
そうなんです。昭和の初めからの商品です。
竹本
戦時中はスキーは敵国語だから、スキー正宗と表示できないため寿亀(すき)正宗と表示して販売していたとかを拝見しました。
小林社長
昭和の初め、ここは旧高田市と言いまして、スキー産業が非常に盛んだったんですね。
竹本
拝見しました。レルヒ少佐が初めて日本にスキーを伝えた場所なんですよね。
小林社長
そうですね。「日本スキー発祥の地」なんです。それでそれを売りだそうということで、ありとあらゆる物品に「スキー」を付けましょうという気運が持ち上がって、当時うちもお酒を「スキー正宗」にしましたし、「スキー飴」とか、「スキー煎餅」、「スキー饅頭」とか色々できたんですね。
ただもうそれが残っていないっていうだけで。
ただもうそれが残っていないっていうだけで。
竹本
日本最初のスキー伝来地以外にもスキーとは深い関わりがあるのですか?
小林社長
スキー産業のメインと言うかスキー製造が有名でしたね。
そのなかでも一番有名なのが「カザマスキー」さんです。
そのなかでも一番有名なのが「カザマスキー」さんです。
竹本
カザマスキー!
小林社長
ナショナルブランドだよ(笑)
エッジってあるでしょ?スキーの。
エッジってあるでしょ?スキーの。
竹本
エッジ、付いてますね。
小林社長
そのエッジだけを作るメーカーがあったりしましたよ。もちろん下請けですけどね。
まっスキーに関わりのある産業が色々あったんですよね。
いわゆるこの辺の農機具屋さんって冬は商売にならないでしょ?
それで、冬場の産業としてそういう部品を作っていたんですよね。
まっスキーに関わりのある産業が色々あったんですよね。
いわゆるこの辺の農機具屋さんって冬は商売にならないでしょ?
それで、冬場の産業としてそういう部品を作っていたんですよね。
竹本
なるほど。
小林社長
比較的広大な土地での農業が主体だったんで、農機具屋さんの規模もそれなりに大きいくなるんですね。
そういう人たち、冬場に仕事がないじゃないですか。
だからスキー産業、スキーの部品を作る、という形なんです。
産業としてのスキーってのは重要な位置を占めてる。
そういう人たち、冬場に仕事がないじゃないですか。
だからスキー産業、スキーの部品を作る、という形なんです。
産業としてのスキーってのは重要な位置を占めてる。
竹本
私学生の頃カザマの板を履いてましたよ(笑)
牧野社長
好きな人、信者と言ってもいいかもしれない。いっぱいいましたもんね。
竹本
私学生の頃、YMCAっていうところでキャンプカウンセラーやってまして。
冬は子どもたちにスキーを教えるキャンプがあるんですね。
そのためにシーズン前に強化合宿があるんですね。これがもうハードでして。下手だとゲレンデで怒鳴られるんですね。
それでその合宿が妙高だったんです。
毎年ここで、SAJやSIAの先生に大声で叱られながら滑ってました。
今でもスキーは続けているんですが、お水の取材でレルヒ少佐のお話やスキー産業のお話が聞けるなんてなかなか感慨深いものがありますね。
冬は子どもたちにスキーを教えるキャンプがあるんですね。
そのためにシーズン前に強化合宿があるんですね。これがもうハードでして。下手だとゲレンデで怒鳴られるんですね。
それでその合宿が妙高だったんです。
毎年ここで、SAJやSIAの先生に大声で叱られながら滑ってました。
今でもスキーは続けているんですが、お水の取材でレルヒ少佐のお話やスキー産業のお話が聞けるなんてなかなか感慨深いものがありますね。
牧野社長
明日「日本スキー発祥記念館」に行かれてみてはいかがですか?この近くですから。
小林社長
ここから車で10分くらいですよ。
竹本
ぼくらSAJのバッチ検定って受けるんですけれど、その時の教科書の巻末に「日本のスキーの歴史」ってのがあって、そこに必ず「レルヒ少佐」って出てくるんですよね。あー懐かしい。
牧野社長
やっぱ出てきました?
竹本
出てますよ。「一本杖」とかもそこにありますね。
牧野社長
「スキーの発祥」の地って言うのはこの「上越市」なんですよ。
だからこの新潟県がゆるキャラで「レルヒ少佐」を使うってことに少し違和感があるんです。
新潟県っていうと、湯沢とかもあって、そこで一生懸命PRするもんだから「スキー発祥の地ってどこだ?」みたいなことになってしまってるのがもったいないですよね。
だからこの新潟県がゆるキャラで「レルヒ少佐」を使うってことに少し違和感があるんです。
新潟県っていうと、湯沢とかもあって、そこで一生懸命PRするもんだから「スキー発祥の地ってどこだ?」みたいなことになってしまってるのがもったいないですよね。
小林社長
二月の始めに「レルヒ少佐」の功績をたたえるお祭りがあります。今年は2月1日2日の土日にやりました。
竹本
もうおわっちゃったんですか!残念!
牧野社長
それで金谷スキー場というレルヒ少佐が教えた場所で、その当時の様な木のスキー板を履いて、昔ながらの袴の格好で滑るんです。
小林社長
さっきお話に出た「一本杖」で滑るんですよね、デモンストレーションで。
竹本
すごい!
小林社長
そういうね「一本杖の会」みたいなのがあるんです。その会の人たちがデモンストレーションしたりします。あと自衛隊、昔から軍隊があったのでそういった人たち一緒になって、お祭りを盛り上げていくんですよ。
竹本
じゃあ街も、市民も、自衛隊もみんなでお祝いしようっていう感じなんですね。すごく良い取り組みですね。
小林社長
そう。だからウチも「おまえんちは、スキーだろ!お酒、協賛してよ!」って言われるんです。もちろんぐうの音もでない(笑)
竹本
そりゃそうですよね(笑)
小林社長
僕もレルヒ祭の方は3年実行委員させていただきました。ただ最近は雪が少なくって困る年もあります。
竹本
今日はここにお伺いする前、時間がありましたので「いもり池」でずっと外の撮影をしていました。
牧野社長
今日は天気が良かったですね。晴れることもなかなかないんで、貴重な体験ですよ。
小林社長
この冬に晴れ間があるって言うのは珍しいですね。
牧野社長
話題が変わりますが、今回の冬季オリンピック(2014年2月取材。当時「ソチオリンピック」が開催中)には、妙高から出てる、清水礼留飛(しみずれるひ)くんが有名になりましたね。彼も「レルヒ少佐」から名前を取っているんですよ。
歳は18だったですかねえ?
歳は18だったですかねえ?
竹本
へー、すごい。レルヒ少佐ってなじみのある方なんですね。
小林社長
清水礼留飛くんは、小さい頃から有名でね。
やっぱりスキーやスノーボードが盛んな地域なんですよ。
やっぱりスキーやスノーボードが盛んな地域なんですよ。
竹本
そうですね。ウチのお袋も「私が最後に足を折ってスキーやめたのは赤倉温泉やった。ええゲレンデやったで」なんてことを言ってましたね。
小林社長
修学旅行なんかも多かったですね。スキー合宿みたいなのでね、関西方面からのお客さまも多かったように思います。今は少なくなったでしょうけどね。
竹本
いずれにしても「スキー正宗」はスキー産業、スキー発祥の地から付けられたお名前だったんですね。
小林社長
そうなんです(笑)
明治大正の一本杖滑走の女性像。凛とした表情に新進の気鋭を感じる。

スキーの歴史が一目瞭然。
いまでこそ用具の発達により簡単にターンできるようになったが、木製のエッジもないスキーでのターンは想像を絶する難しさだろう。
先人たちの苦労を偲ぶ。
いまでこそ用具の発達により簡単にターンできるようになったが、木製のエッジもないスキーでのターンは想像を絶する難しさだろう。
先人たちの苦労を偲ぶ。


竹本 大輔