式年遷宮とは?

伊勢神宮(正式名称は、「神宮」)は、20年に一度、社殿を建て替え、神さまにお遷りいただくというお祭りを行います。それだけでなく御装束・神宝も新たに造り替えるという重要で壮大なお祭りです。これを「式年遷宮(しきねんせんぐう)」と呼びます。準備期間はなんと約8年。30以上のお祭りを重ね、最後には神さまに遷御いただきます。

この遷御が、平成25年(2013年)10月に行われました。
10月2日に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしている「内宮」と呼ばれる「皇大神宮(こうたいじんぐう)」、そして10月5日に、天照大御神の食事を司っている豊受大御神 (とようけのおおみかみ)をお祀りしている「豊受大神宮(外宮)」の遷御が行われました。
この式年遷宮はとても歴史のあるお祭りです。始まりは、飛鳥時代の持統天皇4(690)年。約1300年の昔から、続けられているお祭りなのです。

なぜ20年に一度「遷宮」が
行われるのでしょうか?

なぜ20年に一度行われるのか?については、いろいろな議論があります。
まず第一に、神道の精神である「常若(とこわか:常に新たに清浄であること)」を求めたためでは?と言われています。建物が古くなって傷んだり汚れたりすることは、「汚れ(ケガレ。気枯れ)」ることであり、神さまの生命力を衰退させることとして忌み嫌われたため、だと言われています。
その他には、建替えの技術の伝承を行うためには、当時の寿命や実働年数から考えて、20年間隔が適当とされたため、という考え方もあります。建築を実際に担う大工は、10歳代から20歳代で見習いと下働きをします。このため、20年に一度の遷宮であれば、少なくとも2度は遷宮に携わることができ、2度の遷宮を経験すれば技術の伝承を行うことができる、というのも理由の一つだと考えられています。
他にも「一世代がおよそ20年であるため」であったり、「神嘗祭に供される穀物の保存年限が20年であるため」とも言われていますが、真偽のほどは分かりません。

ここで注目したいのは、式年遷宮にて取り壊された社殿の柱やその他の木材が、他の神社を建て替えるのに、また再利用されていることです。伊勢神宮社殿の大柱 (棟持柱)は鳥居として20年使われます。阪神淡路大震災で倒壊した神社を再建するのにも使われた実績があります。
ただ単に20年で新しく建て替える、のではなく、森林と木を尊び、ずっと柱などの木材を再利用していく。「式年遷宮」は、技術の伝承を含め、究極のリサイクルという「持続可能な社会」が見事に実現されているのです。

宮川と式年遷宮とのかかわり

アクアセレクトの採水地は「宮川」の源流部、その湧水をボトリングしてお届けしています。
「宮川」は下流域においては、伊勢神宮の外宮「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」の横を流れ、その水は境内まで引き込まれています。
「式年遷宮」とアクアセレクトはどのように関わりがあるのでしょうか?
「式年遷宮」の30もあるお祭りの中で、最も重要で、かつ最大のお祭り「お白石持ち行事」があります。
この行事は、文字通り「白い石」を宮川の河川敷で拾い集め、伊勢神宮のご正殿用地に敷き詰めるというものです。前回の遷宮では、約21万もの人が参加しました。
伊勢神宮の領地の住人は古より「神領民(しんりょうみん)」と呼ばれ、その人たちが中心となって、お白石持ち行事の実施年度2・3年前から宮川河川敷に出向いて、白い石を拾い集めて準備をするのです。
集めた「お白石」は平成25年の奉献まで、各町の清浄な場所で大切に保管されます。
宮川河川敷から採集した「お白石」は、陸や川を通って運びこまれ、正殿用地に敷き詰めます。遷御後は絶対に立ち入ることのできない、正殿そばまで入ることができる唯一の機会でもあるのです。
アクアセレクトが湧き出でて清流「宮川」となり、その清冽な水に磨かれた河原のお白石が、巡り巡って伊勢神宮の御敷地に敷かれる。そんな神聖な川の流れを、未来永劫守っていかなければならないと思うのです。
また式年遷宮に絶対に必要な御用材(社殿などを建て替えるために使用する木材)は、アクアセレクト湧水地近くの旧宮川村大杉谷地区から産出されていた時代がありました。現在、御用材は木曽(長野県木曽町周辺)地方で産出され、伊勢まで運ばれています。
過去にさかのぼると、弘治3年(1557年、ちょうど武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いがあった年)くらいまでは、宮川最上流部の大杉谷(おおすぎだに)地区からも運ばれていたという記録があります。
なぜ弘治3年以降、この地からの産出が無いのか?
それはこの地の地形が急峻すぎて、搬出に困難を極めた、という理由らしいのです。
いつの日かまた宮川流域で育った檜やスギが、宮川の急流を下り、御用材として活躍する時代を期待したいものです。

宮川と伊勢神宮とのかかわり

アクアセレクトが湧き出で源流「宮川」となり、約90kmを流れ伊勢湾に注ぎます。
この「宮川」は伊勢神宮の外宮、つまり豊受大神宮のすぐ横を流れ、古来は「豊受宮祓川(とようけのみや おはらいがわ)」と呼ばれていました。
これが時代とともに「豊宮河(とよみやがわ)」と変化し、現代においては、上部分を省略し「宮川(みやがわ)」と言うことになったのです。
江戸時代に流行した「お伊勢参り」では、お参りの人たちや京からの勅使にとって神域に入るために身を清める「お祓(はら)い川」として親しまれていました。現代においても、皇室からの幣帛を伊勢神宮に届ける際に「例幣使宮川祓」を行っています。
さらに時代をさかのぼれば、京の都の皇族や貴族の方たちともつながりがあります。詠まれた詩は多いのです。
例えば、後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)には後鳥羽院が朝夕にあおく心を猶てらせ渡も志つかに宮河の月と詠っています。
また、新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)に詠っているのは、藤原定家。
契ありてけふの宮川のゆふかつら(木綿蔓)永き代まてもかけて頼まん
世の平安と民の健康を祈った詩です。
また古代まで時代をさかのぼると、神々の逸話がたくさんあります。
その中から一つご紹介します。
宮川の上流域、ちょうど三重県大台町にある「船木大橋」は、倭姫命(やまとのひめみこ)が天照大御神(あまてらすおおみかみ)をご鎮座させる神宮の敷地を探していた際、乗っていた船が大破しました。そこでこの「船木(大紀町)」の地で修理したので、この地名が付いたと言われています。

古より、深い関わりにある、「伊勢神宮」と「宮川」。この深いつながりを、私たちアクアセレクトも技術の伝承、そして環境保全とともに、さらに深めていきたいと考えています。

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