初めて焚き火をしたのは、本当に小さい時だ。
小学校に上がる前だったかもしれない。
祖母と一緒に、庭で一斗缶を使って落ち葉や紙ゴミを燃やしていた。
大らかな時代だった。
庭木を手入れするための植木鋏や鉈、手斧や鋸などが遊び道具だった。
刃物でいろいろと怪我をした。
植木鋏を使って力いっぱいアオキの枝を切り落とそうとしたとき、
柄の部分で手のひらの肉を挟み、血豆をこしらえた。
痛かったこと、使い方が難しかったことを思い出す。
小学校の高学年になり、友だちとキャンプに熱中した。
5年生の時、初めて野宿をした。
大阪泉佐野の「犬鳴山」というところだ。
アメ村でビビりながら米軍の払い下げのザックを買い、
EPIのガスコンロとコッヘルをザックに詰めて出かけた。
もちろんテントはなく、寝袋を地べたに敷いて星を眺めた。
熾きになった焚き火のそばで、それはもう降ってくるような満天の星空を眺め続けた。
最高だった。
徐々に仲間が増えていき、本当に毎週のように出かけて行った。
夏だろうと冬だろうと関係なかった。
一年中、薪を割って焚き火をして遊んだ。
中学生になっても高校生になっても、変わらなかった。
部活やアルバイトの合間を縫っては、キャンプをしていた。
彼女とデートした後、電車に飛び乗って仲間に合流しクリスマスを山で過ごした。
火のそばでくだらないことを語り合った。
別にキャンプ場でもなんでもない河原にテントを張って、
薪を集め、火を焚いて、飯を炊き、そして食う。それだけのことだ。
いつも火のそばにいて、燃える様を、熾きになっていく様を見つめていた。
いろいろな失敗をした。
さぁこれから食うぞという鍋をひっくり返して空腹で過ごした夜もあった。
暗くて肉が焼けているのかどうか分からずほとんど生で食ったこともあった。
お不動さんの護摩木をちょっと拝借して怒られたこともあった。
あまりにも寒くてギターは弾けず、ハーモニカは唇にくっ付いた。
テントに大きな穴を空け、そして鉈が滑って手に大けがをした。
それでも、あの河原で、薪を割り続け火を焚き続けた。
苦労して火を熾し、煙が目にしみても、焚き火のそばで語り合った。
焚き火は、いい。
子どもたちには、これからどんなに便利な世の中になったとしても、薪を割り、手に怪我をして、煙で涙を流しながら、火を焚いてほしいと願う。
そして、焚き火のそばで人生を語り合ってほしいと願う。





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